歴史・沿革(1981-1990年) History
- ヨネックスの歩み
- 製品・選手
1981
昭和56年
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ヨネックス初の現地法人は、西ドイツに設立された。
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テニスラケットの製造を担う新工場の竣工式には、ヨネックステニスの創生を支えた、テニス・契約プロのビリー・ジーン・キングが出席した。
1982
昭和57年
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ヨネックススポーツ株式会社を現社名であるヨネックス株式会社に変更
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ゴルフ事業に進出
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世界で初めて、カーボングラファイトとパーシモンを一体化したゴルフのウッドクラブを発表
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バドミントンで「ヨネックスカップジャパンオープン(現ヨネックスオープンジャパン)」に冠協賛
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カーボングラファイトとパーシモンを一体化したゴルフクラブ、「カーボネックス」を発売
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新発売のテニスラケット「R-7」を使用したナブラチロワが、全仏オープン優勝
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アジア大会テニス シングルス優勝の井上(現姓 兼城)悦子と専属契約
1983
昭和58年
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株式会社ヨネックス東京工場(現東京工場)にてストリングの製造を開始
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アメリカに現地法人YONEX AMERICA INC.(現YONEX CORPORATION)を設立
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新潟県長岡市にゴルフ練習場(36打席)を開設
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テニスブームを席巻し、空前のヒット作となったミッドサイズのカーボンラケット「R-22」を発売
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ナブラチロワが「R-22」を使用し、史上初のシングルス・ダブルスともにグランドスラムを達成
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アイアンの常識を覆したゴルフクラブ「カーボンアイアン」を発売
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テニス・契約プロの井上(現姓 兼城)悦子がジャパンオープンで初優勝
1984
昭和59年
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名古屋市中区に名古屋営業所(現名古屋支店)を開設
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1899年以来の伝統を誇る全英バドミントン選手権の冠スポンサーとなる
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第2工場建設で、ストリング生産の充実を図る。
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本社(現新潟生産本部)第3工場を、新潟県三島郡越路町(現長岡市)に建設
1985
昭和60年
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テニス・契約プロの井上(現姓 兼城)悦子、全日本テニス選手権初優勝
1986
昭和61年
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テニス・契約プロのナブラチロワ、ウィンブルドン5度目の優勝
1987
昭和62年
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福岡県福岡市博多区に福岡営業所を開設
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世界で初めてIPS(Integrated Power weight System)採用のテニスラケットを発売
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イギリスに現地法人YONEX U.K. Ltd.を設立
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米山稔が藍綬褒章を受章
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台湾に現地法人優乃克股份有限公司(YONEX TAIWAN CO.,LTD.・生産会社)を設立
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IPS(Integrated Power weight System)採用のテニスラケット「R-24」を発売
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テニス・契約プロのナブラチロワが、6年連続でウィンブルドン王者となる
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全英バドミントン選手権に、エドワード王子がご臨席され大会の栄誉を称えた
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プロテニスプレーヤーのパム・シュライバー(アメリカ)と契約
1988
昭和63年
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香港に現地法人YONEX SPORTS HONG KONG LIMITED(販売会社)を設立
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長岡市新産にヨネックスゴルフ練習場(現ゴルフ研究試打場兼練習場)を開設
1989
平成1年
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新会社を設立し、ゴルフ場開発に着手する。
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西ドイツに現地法人YONEX GmbH(販売会社)を設立、旧YONEX SPORTS GmbHの業務を継承
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JPGAツアーの「ヨネックスオープン広島ゴルフトーナメント」を広島テレビ放送と共催
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プロテニスプレーヤーの伊達公子と契約
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業界初となるワイドボディ設計のヘッドに着目したゴルフクラブ、A.D.X.シリーズを発売。同年、A.D.X.ドライバーは412ヤードの世界記録を樹立し、PGA公認大会で最長飛距離を記録したドライバーとなった
1990
平成2年
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宮城県仙台市宮城野区に仙台営業所を開設
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東京都文京区湯島に本社を移転。同時に株式会社ヨネックス東京工場(現東京工場)、ヨネックス貿易株式会社(現海外営業部)の2社を吸収合併
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アメリカ現地法人YONEX CORPORATION(現YONEX CORPORATIONの前身)設立。新社屋を建設
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マルチナ・ナブラチロワがウィンブルドンで史上最多の9回目の優勝を果たす
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プロテニスプレーヤーのモニカ・セレス(アメリカ)と契約