歴史・沿革(1971-1980年) History

  • ヨネックスの歩み
  • 製品・選手

1971
昭和46年

  • 世界最大の米国市場にアルミ製テニスラケットで参入

1973
昭和48年

  • ロゴに採用されている「yy」は、yoneyamaの「y」と若さ(youth)の「y」を「yy」としてデザインした。

  • コーポレートカラーのブルーは大空を、グリーンは大地をイメージしている。

  • ソフトテニスラケットの製造・販売を開始、ソフトテニス事業に参入

  • 全英バドミントン選手権で7年連続8回の優勝を果たし、バドミントンの神様と称されたルディー・ハルトノ(インドネシア)と契約

  • ソフトテニスラケット「TS-6500、TS-5500」を発売

1974
昭和49年

  • 海外との取引が増え始めたころ、社名の表記が「YONEYAMA」では文字数が多く、海外の方は発音しにくく苦情が多くなったため社名変更を決断した。会議で出された案の中から、「YONEYAMA」のYAMAをとり、未来の可能性を表すエックスを付けた現在の社名となった。

  • 有限会社ヨネヤマラケット東京工場を有限会社ヨネックススポーツ東京工場(現東京工場)に社名変更

  • 貿易商社の株式会社ヨネヤマスポーツをヨネックス貿易株式会社(現海外営業部)に社名変更

  • 木製テニスラケットの製造開始

  • テニス4大大会ダブルス優勝の実績をもつトニー・ローチ(オーストラリア)と契約

1975
昭和50年

  • 本社(現新潟工場)第2工場を、新潟県三島郡越路町(現長岡市)に建設

  • テニスラケットでグラフレックス「T-9000」を発売

  • ソフトテニスラケットのベストセラー「TS-7000カーボネックス」発売

1976
昭和51年

  • 75年のウィンブルドン選手権ダブルス優勝のプロテニスプレーヤー・アン清村(アメリカ)と契約

1977
昭和52年

  • 新潟県長岡市にヨネックステニスクラブを開設

  • テニスラケットに、初めてカーボンとグラスファイバーを複合させた「カーボネックス7、8」を発売

1978
昭和53年

  • 大阪に拠点を作り、西日本地区の営業強化を図った。

  • ヨネックス貿易株式会社台湾事務所を開設

  • 有限会社ヨネックススポーツ東京工場を株式会社ヨネックス東京工場に組織変更

  • 世界で初めて100gをきったバドミントンラケットを発売

  • ソフトテニスラケットで、カーボン製の「カーボネックス25、26」を発売

  • バドミントンラケットで、世界で初めて100gをきった「B-8500、カーボネックス8(写真)」を発売

1979
昭和54年

  • 東京本店(現本社)ビル竣工

  • テニスラケットが全米プロテニス協会(USPTA)の公認を受ける

1980
昭和55年

  • 画期的なアイソメトリック形状(四角いフレーム)を持つテニスラケットを発売

  • テニスのトッププロ、ビリー・ジーン・キング(アメリカ)、マルチナ・ナブラチロワ(アメリカ)、ダイアン・フロムホルツ(オーストラリア)と契約

  • テニスラケットで、アイソメトリック形状(四角いフレーム)を持つデカラケ「R-1、R-2、R-3」を発売